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最高裁判所大法廷 昭和42年(オ)1464号 判決 1971年10月13日

上告人

株式会社仙石屋

右代表者

金丸信

右訴訟代理人

鈴木七郎

被上告人

土木田勉

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人鈴木七郎の上告理由第一点ないし第三点について。

およそ、約束手形の振出は、単に売買、消費貸借等の実質的取引の決済手段としてのみ行なわれるものではなく、簡易かつ有効な信用授受の手段としても行なわれ、また、約束手形の振出人は、その手形の振出により、原因関係におけるとは別個の新たな債務を負担し、しかも、その債務は、挙証責任の加重、抗弁の切断、不渡処分の危険等を伴なうことにより、原因関係上の債務よりいつそう厳格な支払義務であるから、会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出す行為は、原則として、商法二六五条にいわゆる取引にあたり、会社はこれにつき取締役会の承認を受けることを要するものと解するのが相当である。

原審の確定するところによれば、本件(イ)の約束手形は、上告会社がその取締役である鈴木英夫に宛てて振り出したものであり、同(ロ)の約束手形は、手形上の記載によると、上告会社が右鈴木英夫を受取人として振り出し、同人が白地裏書をして被上告人がこれを所持していることとなつているが、実際上は、上告会社が受取人欄を白地にして直接被上告人に交付し、被上告人が鈴木英夫をして受取人欄にその氏名を記載し裏書させたものであり、また、同手形は、上告会社が鈴木英夫に宛てて振り出し、同人から被上告人に交付された約束手形の書替手形であるというのである。そして、商法二六五条の適用については、手形上の記載によるべきではなく、現実に行為をした当事者を基準として判断すべきであるから、前記の説示に徴すれば、上告会社による本件(イ)の約束手形および(ロ)の約束手形の書替前の約束手形の振り出し行為はいずれも商法二六五条にいわゆる取引にあたり、上告会社はこれにつき取締役会の承認を受けることを要するが、(ロ)の約束手形自体の振出行為は右にいわゆる取引にあたらないものと解せられる。しかるに、上告会社は(イ)の手形および(ロ)の手形の書替前の手形の振出について取締役会の承認を受けなかつたことは、原審の確定するところである。

ところで、手形が本来不特定多数人の間を転々流通する性質を有するものであることにかんがみれば、取引の安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから、会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出した場合においては、会社は、当該取締役に対しては、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、その手形の振出の無効を主張することができるが、いつたんその手形が第三者に裏書譲渡されたときは、その第三者に対しては、その手形の振出忙つき取締役会の承認を受けなかつたことのほか、当該手形は会社からその取締役に宛てて振り出されたものであり、かつ、その振出につき取締役会の承認がなかつたことについて右の第三者が悪意であつたことを主張し、立証するのでなければ、その振出の無効を主張して手形上の責任を免れえないものと解するのを相当とする(この判旨に反する大審院明治四二年(オ)第二七九号同年一二月二日民事総合部判決、民録一五輯九二六頁は、これを採らない。)。したがつて、この場合には、手形法一六条二項の適用はなく、その解釈適用につき所論のような論議をなす余地はないのである。

これを本件についてみるに、(イ)の約束手形については、被上告人は鈴木英夫から右手形を取得するに際しその手形の振出につき取締役会の承認がなかつたことを知らなかつたことは、原審の確定するところであるから、上告会社が被上告人に対しその振出の無効を主張して手形上の責任を免れえないことは、右の説示に照らして明らかである。また、(ロ)の約束手形自体の振出については、会社は取締役会の承認を受けることを要しないが、その書替前の約束手形の振出につきこれを必要とすることはさきに述べたとおりであつて、もしこの手形につき、上告会社が、取締役会の承認を受けなかつたことを理由として、被上告人に対しその振出の無効を主張しうるとするならば、ひいてこれを抗弁として、(ロ)の手形についてもその支払を拒むことができることとなるべきところ、原審の確定するところによると、被上告人は鈴木英夫から書替前の手形を取得するに際しその振出につき取締役会の承認がなかつたことを知らなかつたというのであるから、上告会社は書替前の手形について被上告人に対し手形上の義務を負担していたものであり、したがつて、本件(ロ)の手形についても、その支払を拒む理由は存しないものといわなければならない。

以上のとおり、被上告人が上告会社に対し本件手形金の支払を求める本訴請求はいずれも正当である。そして、被上告人の請求を認容すべきものとした原判決は、その理由においては以上説示したところと異なる点もあるが、結論においては正当であり、本件上告は理由がない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条により、裁判官大隅健一郎の補足意見および裁判官岩田誠、同色川幸太郎、同松本正雄、同村上朝一、同関根小郷、同藤林益三、同岡原昌男の意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官大隅健一郎の補足意見は、次のとおりである。

(一)  商法二六五条の規定の解釈における中心的な課題は、会社利益の保護を目的とする同条の立法の趣旨と取引の安全の要請とをいかに調整するかにあり、同条にいわゆる取引にいかなる行為が含まれるか(本件についていえば、会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出す行為がこれに含まれるか)を考えるについても、右の考慮を欠くことをえないのであつて、問題はおのずから同条違反の取引の効力をいかに解すべきかと関連することとなる。すなわち、同条違反の取引を絶対無効と解するならば(色川裁判官はこの見解である。)、取引の安全の見地から、同条にいわゆる取引に含まれる行為をなるべく狭く解することとならざるをえないのに反して、同条違反の取引を有効または相対無効と解するならば、これにより一応取引の安全の要請はみたされるから、右にいわゆる取引をとくに狭く解する必要はなく、主として会社利益の保護を目的とする同条の法意に照らして考えることとなるのである。その意味で、株式会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出す行為が一般的に商法二六五条にいわゆる取引に包含されないと解する意見の根底には、同条違反の取引は絶対無効であつて、会社は何びとに対してもその無効を主張することができるとする見解が伏在しており、これによつて生ずる不都合を回避しようとする考慮が働いているのではないかと憶測される。もしそうであるとするならば、そのように商法二六五条違反の取引を絶対無効と解する前提自体に問題があるといわなければならない(「会社をして、自己の機関のした行為の瑕疵を理由に、第三者の犠牲において、本来の契約からの拘束を免れしめるがごときは、果して妥当であろうか」という色川裁判官の疑問は、ここで提起せられるべきものと考える。)。

もつとも、右の意見は、上述の点には触れることなく(ただし、色川裁判官は別)、約束手形の振出は原因関係上の債務の決済手段として行なわれるものであり、いわば金銭による債務の履行と同様、本来利害衝突のおそれのない行為であるから、原因関係上の取引につき商法二六五条の規定によつて取締役会の承認を要するのは当然であるが、それ以上に、これに基づく約束手形の振出についてまでもその承認を必要とする理由はないということに、その理論的根拠を求めている。しかしながら、

(1)  約束手形の振出は、手形による信用の供与ないし融資の場合等に見られるように、初めから原因関係なくしてなされることがあるが、この場合においては、その手形の振出について取締役会の承認を要しないとすることは許されないであろう。あるいは、この場合にも、手形の振出に先だち融資契約というべきものがあり、それについては取締役会の承認を要するが、手形の振出自体についてはその必要がないとする考えもありえよう。しかし、これは、いわゆる現実売買において債権契約とその履行のためにする物権契約の併存を認めるのと同様、取引の実情に合わない観念論というほかないと思う。

(2)  会社が取締役に対する既存債務の履行に関し約束手形を振り出す場合において、すでにその債務の成立につき取締役会の承認があるときは、重ねて手形の振出についてまでも取締役会の承認を要求する理由はないかのようであるが、必ずしもそうとはいえない。けだし、多数意見が述べているとおり、会社は、約束手形の振出により、原因関係上の債務とは別個の新たな、しかも、いつそう厳格な債務を負担することとなるのであるから、これを直ちに金銭による債務の履行と同視することはできなく、むしろ一般的には取締役個人に利益にして会社に不利益を及ぼす行為というべきであつて、これについても取締役会の承認を要求するのが、会社利益の保護を目的とする商法二六五条の法意にそうゆえんであると考えられるからである。そして、このように解しても、同条違反の取引の効力につき多数意見のような見解をとるならば、格別手形取引の安全を害することとはならない。さきに述べたとおり、問題が会社利益の保護と取引安全の要請とをいかに調整するかにあることを考えるならば、これをもつて手形取引の安全を軽視するものとする批判の当たらないことは、明らかであろう。ただ、この見解によると、会社は原因関係上の取引と約束手形の振出の双方につき取締役会の承認を受けることを要するが、会社がそのために二度取締役会を招集する煩をいとうならば、原因関係上の取引につき取締役会の承認を受けるにあたり、これに基づく手形の振出についても同時にその承認を得ておけば済むことである(売買、消費貸借等にあたつては、その代金の支払または弁済が現金によるか手形によるかについても取締役会の承認を受けておくのが適当であるが、その点についての承認がなくても、適法な取締役会の承認がないとすることはできない。もつとも、この場合には、通常は、金銭により支払または弁済をなすべきものとして承認があつたと解しうるであろうが。)。元来、会社とその取締役との間のいわゆる自己取引が取締役の不正行為の温床となるおそれの多いことは、わが国における実情および諸国の立法(たとえば、かつては取締役の自己取引につき格別の規制をしていなかつたドイツで、一九三一年、会社は監査役会の明示の同意がある場合においてのみその取締役に対し信用を供与することをうる旨の規定が設けられて、現在の西ドイツ株式法に引きつがれ、また、最近のフランスの商事会社法では、従来の取締役の自己取引に関する規定が整備されて、会社とその取締役との間のすべての契約のほか、いわゆる間接取引および同一人が取締役を兼任している会社間の契約についても、取締役会の事前の認許を要するものとされ、さらに、イギリスの会社法では、取締役が会社と取引することは判例で極度に制限せられ、立法上も、会社がその取締役もしくはその支配会社の取締役に金銭を貸し付け、または他人がこれらの者に対してなす貸付について会社が保証をしもしくは担保を供することが原則として違法とされているなど。)に徴し明らかであつて、これについては、通常の取引におけると異なり、その取引が簡易迅速に行なわれるよう配慮すべきではなく、むしろできるだけ慎重な措置を要求すべきものといわなければならない。なお、小切手はいわゆる支払証券であつて、その経済的機能においては金銭の代用物ともいうべきものであるから(このゆえに、法も小切手の振出にはその支払に必要な資金の存在を強制している、小切手法三条、七一条)、会社がその取締役に対する金銭の支出につき取締役会の承認を受けているときは、小切手の振出については改めてその承認を得る必要はないものと解してよいであろう。

(二)  多数意見は、株式会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出した場合において、いつたんその手形が第三者に裏書譲渡されたときは、会社は、その第三者に対しては、当該手形の振出につき取締役会の承認を受けなかつたことのほか、その第三者の悪意(悪意のほか重過失を含む趣旨と考える。)をも主張し、立証するのでなければ、その振出の無効を主張して手形上の責任を免れえないものと解している。この見解は、昭和四三年一二月二五日の当裁判所大法廷判決(民集二二巻一三号三五一一頁)の趣旨に徴すれば、きわめて当然の帰結であるといわなければならない。ところが、多数意見が、この判例を援用することなく、その論拠をもつばら手形が不特定多数人の間を転々流通する性質を有するものであることに求めていることからみると、右のような善意の第三者の保護は、株式会社がその取締役に対して手形その他の流通証券の振出、裏書等をなす場合に限つて認められ、たとえば会社がその取締役に対して不動産を売却し、その不動産がさらに第三者に譲渡されたような場合にまでは及ばないとする趣旨であるかに考えられる。もしそうであるとするならば、商法二六五条の適用において、手形その他の流通証券とそれ以外の財産権とで、第三者の保護につき、このような区別をむすべき理由を理解することができない。あるいは、動産については民法一九二条による保護をもつて足り、また、不動産は高価なことが多いから、これについてまでも前記のごとき善意の第三者の保護を認めるならば、会社の資本充実を害することとなつて不当であるとする意見があるかも知れない。しかし、手形にあつてもその手形金額につき格別の制限があるわけではないから、善意の第三者の保護が会社の資本充実を害するおそれがあることには、彼此変りはないというべきである。すでに取引の安全の見地より善意の第三者の保護をはかる必要を認める以上、それは当然に取引の安全が会社利益の保護に優越すべきであることを前提とするものといわざるをえない。したがつて、多数意見の立場においては、本件のように株式会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出した場合に限らず、一般に、商法二六五条に違反して会社とその取締役との間に取引が行なわれた場合において、第三者がその取引につき直接利害関係を有するに至つたときは、本件におけると同じ理論に基づいて、善意の第三者の保護をはかるのが、その見解から生ずる当然の帰結でなければならないと思う。この点については、前記の昭和四三年一二月二五日大法廷判決における私の補足意見において述べているので、それをここに引用する。

裁判官松本正雄の意見は、次のとおりである。

わたくしは、結論において、多数意見と同じく本件上告は棄却すべきものと考えるが、所見を異にする部分があり、反対意見にも賛成できないので、卑見を述べる。

一、多数意見が「会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出す行為は、原則として、商法二六五条にいわゆる取引にあたり、会社はこれにつき取締役会の承認を受けることを要するものと解するのが相当である」とする見解には賛成でみる。

右見解に対して岩田、村上、関根、藤林、岡原各裁判官は、「約束手形の振出は、金銭の支払いと同様、同条のいわゆる取引に包含されるべきものではなく(民法一〇八条但書参照)、右両者の原因関係について取締役会の承認を得れば足りるわけである。」として反対の意見を表明されている。

しかし、わたくしは、右の各裁判官の意見には反対である。

二、商法二六五条は、「自己又は第三者の為に会社と取引を為すには取締役会の承認を受くることを要す」と規定しているが、取締役会の承認の対象となる右の「取引」は多種多様である。ここでは手形と最も深い関係にある売買、消費貸借、信用の供与等を例として検討して見よう。

三、売買、消費貸借についていえば、「取引」の内容、契約条件等について取締役会に具体的に示されたものが、すべて、承認の対象になるのであるから、代金の支払方法(例えば、現金、手形、月賦、年賦等)、金銭その他の物を受け取つたものの返還方法(例えば、利息、時期等)等についても承認を得なければならない。例えば、会社が取締役個人から土地を買う場合には、その土地の価額、代金の支払方法等が問題となり、会社が取締役個人から金を借りる場合、あるいは、逆に会社が取締役個人に金を貸す場合には、担保、金利等が重要な問題になるとともに、その返還の時期、方法等も、また、問題となるからである。したがつて、約束手形振出の方法によつて支払がなされ、あるいは、返還がなされる場合には、これらは取引の内容をなすものとして取締役会の承認を受けなければならないことは当然である。

このようにして、会社が取締役に宛てて約束手形を振り出す場合について取締役会の承認を受けていたときに、それ以後の日において、現実に会社から手形が振り出される際に、重ねて承認を必要としないことはいうまでもない。また、現金で支払うことが承認されている場合に、その後になつて現金または小切手で支払われる際に改めて承認を受けることも必要では、ない。けだし、支払なり、返還なりについて既に承認を受けているからである。しかしながら、現金でなすべき支払が承認されている場合に、これを約束手形で支払うことに改める場合は、このときは相手方が承知しないことが多いであろうが、もし、相手方が承知したとしても、手形が信用証券である特質に鑑みれば、このことが常に会社にとつて有利だとはいい難く、取引の内容が変更されたものとして取締役会の承認を受けるべきだと思う。

わたくしは、前述のような見地から、前記各裁判官が「約束手形の振出自体が同条の取引に該当するならば、つぎのような不合理な結果を招くこととなろう」として、例示して指摘せられる諸点を検討すると、それは全く当らないと考える。すなわち、例示一は、もともと、商法二六五条の取引に該当しない場合であつて、これに関連する債務の履行のための約束手形の振出についても同条の取締役会の承認が不要の場合である(多数意見も「原則として」承認を受けることを要するといつているにすぎない。)。次に例示二について述べる。前叙のように、代金の支払条件は取締役会の承認を受けるべき取引の内容たる事項であるから、約束手形による支払は、明示または黙示の承認の対象となつており、既に承認ずみの約束手形の振出について現実に発行の際、改めて承認の必要はないことはいうまでもない。現金払の承認を約束手形による支払に変更するときは、改めて承認を要すると解すべきことは前述のとおりである。例示三について述べられる点も全然問題になる余地がない。すなわち、小切手は手形とちがつて支払証券であり、小切手振出の経済的作用は現金の支払とほとんど同視せられるものであるから、取締役に対して現金での支出が取締役会において予め承認せられている場合に、小切手の振出について改めて承認を必要としないことは当然のことなのである。

四、前記各裁判官は、信用授受を原因として融通手形を振り出す場合も、信用供与という原因関係の承認で足りると論ぜられる。しかしながら、このような承認がなされた実例が果してあるだろうか。会社が約束手形の振出によつて取締役に信用供与をする場合には、会社から取締役に対する手形振出行為と信用供与契約なるものとが一体となつているのが通常であり、両者は観念的には区別されても、実際上は区別されていない。むしろ、実務の当事者は信用供与契約など意識せず、手形行為のみしか念頭にないであろう。したがつて、約束手形を振り出すことによつて信用を供与する場合にも、それが商法二六五条の自己取引に該当するときには、その手形行為について取締役会の承認を受けることの方がむしろ肝要であり、またそのように行なわれているのが実状である。前記各裁判官の意見は、いずれも観念論に走り過ぎたもので到底賛成できない。

五、前述のように、会社と取締役との間に、商法二六五条に規定する自己取引が行なわれるときには、実務のうえにおいても、その取引の内容として、代金の支払方法、借入金の返還方法、信用供与の方法として約束手形の振出までも含めて取締役会において、明示または黙示の承認がなされているのであつて、その承認があつたときには、これに基づいて手形が振り出される際に、会社代表者において手形証券上に「取締役会承認済代表取締役」なるゴム印が押され、あるいは、「本手形行為は取締役会の承認をえたものであることを証明する」とした付箋がつけられて、その手形は支障なく流通しているのである。実務上のこの慣行を、いま改めなければならない差し迫つた必要はない。

六、つぎに、多数意見が、本件のような場合には、会社は、取締役会の承認がないことについて手形取得者の悪意を主張立証しなければ、その者に対し振出の無効を主張しえないものとし、手形法一六条二項の適用がないとする点については、わたくしは、反対である。

多数意見が、本件のような場合に手形法一六条二項の適用がないとせられる理由は明らかではないが、おそらく、本件のように約束手形の振出について商法二六五条の規定による取締役会の承認を必要とするにかかわらず、それがないときには、その振出が手形行為として有効に成立しないから手形法一六条二項を適用する余地がないとの考えがその根底にあるものではないかと推察する。

しかしながら、わたくしは、約束手形については、振出人、裏書人等の手形債務者が、流通に置く意思をもつて、手形要件の具備した手形に署名して手形行為をなした段階において、手形債務を負担するための要件である手形行為が完成していると考えるのである。すなわち、右のような段階にあれば手形行為としては有効に成立し、この手形を必ずしも相手方に交付し、または、第三者に交付することによつて初めて有効になると考える必要はないと思料する。

そして、商法二六五条は、相手方との間の取引について適用すべきものであるから、未だ手形を相手方に交付しない以前の段階における手形行為者の手形債務の発生については、同条の適用がなく、手形を相手方に交付することによつて生ずる権利移転行為について適用があると解すべきである。そうであれば、この場合、同条の承認のない手形の交付を受けた相手方は無権利者となるから、たとえ、手形行為者の手形債務は有効に発生していたとしても、手形行為者はその者に対し手形債務を負担すべき限りでないが、その後においてその者から手形を善意取得した者に対しては、手形行為者は手形負担しなければならなくなる。このような見地から、わたくしは、本件の場合に、原判決のように手形法一六条二項を適用してこれを解決すべきものであると解する。

多数意見は、「取引安全の見地より、善意の第三者を保護する必要があるから」、手形が第三者に裏書譲渡されたときは、その「第三者が悪意であつたことを主張し、立証するのでなければ、その振出の無効を主張して手形上の責任を免れえないものと解するのを相当とする」と説示せられるが、単に取引の安全と第三者保護の見地のみから、このような結論を導き出すのは、法的根拠を欠くものであつて、安易に過ぎるものではないかと懸念する。更にまた、手形の所持人に悪意はなくても、重大なる過失によつて手形を所持するに至つた場合については多数意見は触れられないが、若し、重過失によつて手形を取得した第三者も悪意の取得者と同様に考えると、法的解釈が更にルーズに流れ去るのではないかと憂える。

七、右の次第であるから、わたくしは、本件において手形法一六条二項を適用して、被上告人が本件手形を取得するに際し、取締役会の承認がなかつたことについての悪意、重過失の有無を判断したうえ本訴請求を認容した原判決は正当であり、本件上告は棄却すべきものと考える。

裁判官岩田誠、同村上朝一、同関根小郷、同藤林益三、同岡原昌男の意見は、次のとおりである。

商法二六五条の法意は、取締役個人と株式会社との利害が相反する場合において、取締役個人に利益で、会社に不利益な行為が濫りに行なわれることを防止しようとするものである。ところで、約束手形の振出は、売買、消費貸借等の取引の決済または信用授受などの原因関係の手段としてなされる行為であり、それ自体としては、原因関係と独立して、取締役個人に新たな利益を与え会社に新たな不利益をもたらす行為であるとはいえない。たとえば、金銭債務の履行が金銭の支払いでされる場合に、その支払い自体が債権者に新たな利益を与え債務者に新たな不利益をもたらす行為であるといえないことは、いうまでもなく、しかも、右金銭の支払いのためもしくはその支払いにかえて約束手形が振り出された場合、または信用授受を原因としていわゆる融通約束手形が振り出された場合に、右振出により振出人が厳格な手形上の債務を負担するに至るとしても、原因関係上の債務が金銭の支払いをもつてされるとき以上に、約束手形の振出自体が債権者に利益で債務者に不利益なものとなるとはいいがたいからである。

したがつて、約束手形の振出は、金銭の支払いと同様、同条のいわゆる取引に包含されるべきものではなく(民法一〇八条但書参照。)、右両者の原因関係が右取引に該当する場合には、その原因関係について取締役会の承認を得れば足りるわけである。もし、これに反し、約束手形の振出自体が同条のいわゆる取引に該当すると解するならば、つぎのような不合理な結果を招くこととなろう。

一、原因関係が右取引に該当しない場合、たとえば、株式会社が取締役から無利息で金員を借り受けた場合に、その返済債務の履行として株式会社が取締役に対し約束手形を振り出すときにも、取締役会の承認を要することとなる。

二、原因関係が右取引に該当する場合、たとえば、株式会社が取締役から不動産を買い受けた場合に、右売買につき取締役の承認を得たときでも、その代金の支払いのため株式会社が取締役に対し約束手形を振り出すときには、さらに、取締役会の承認を要することとなる。

三、小切手の振出も法律上は手形の振出と本質において異なるところはないのであるから、株式会社が取締役に対し小切手を振り出すときにも、取締役会の承認を要することとなる。

それゆえ、約束手形の振出が商法二六五条のいわゆる取引に該当することとした当裁判所の見解(昭和三五年(オ)第一一三九号同三八年三月一四日第一小法廷判決、民集一七巻二号三三五頁等)は、これを変更すべきである。

よつて、本件各約束手形の振出につき取締役会の承認がないからその振出は無効である旨の上告会社の抗弁は理由がなく、これを排斥した原判決は、結論において正当であり、本件上告は棄却すべきものである。

裁判官色川幸太郎の意見は、次のとおりである。

一、多数意見は、会社がその取締役に宛てて約束手形を振り出す行為は、原則として、商法二六五条にいわゆる取引にあたるという。ところで、同条の趣旨は、会社と取締役個人との利害が相反する場合において、取締役個人である反面会社には不利益となるような行為が濫りに行なわれることを防止するにあるのであるから、一般に、取締役会の承認を受けないでなされた会社と取締役個人との取引は無効であり、第三者との関係においても、右取引に基づいては、会社に義務を負担せしめ得ないものとしなければならない。その限りでは、会社の利益保護が重視され、取引の安全が犠牲にされるわけである。しかし、会社の利益保護もさることながら、取引の安全の保護もまた、商法上の基本的な要請であることから考えると、形式的には会社と取締役個人との取引ではあつても、性質上何らその間に利害の衝突のない行為にまで、商法二六五条を適用することは、いたずらに会社の利益保護に偏するのそしりを免れないであろう。故に、同条にいわゆる取引は、前記立法趣旨に反しないかぎり、厳格、狭義に解すべきであり、その意味で、民法一〇八条但書におけると同様、約束手形の振出も債務の履行に類比すべき行為として、同条にいう「取引」には含まれないものと解すべきである。

二、もともと手形行為は、既存の法律関係に基づき、その延長線上でなされる、単なる手段としての形式的な無色の行為にほかならない。約束手形の振出は、当事者間で既に成立している債権債務関係の決済のためになされる純然たる債務の履行のためであるか、そうでない場合でも、既に確定している債権債務関係を手形面上に表彰顕出せしめる行為であるに過ぎず、新たな利益の変動を生ずべき債権債務関係を創設するためのものではないのである。例えば、取締役に対し既に確定している報酬その他会社の負担する債務の支払のために約束手形を振り出すがごときは、現金もしくは小切手の交付と何らの逕庭がなく、支払期限の猶予を受けることによつて会社に有利になることがあつても、会社の利益を侵す虞はないのであるから、その際ことさらに取締役会の承認を経なければならない合理的な理由は到底見出し得ない。もつとも、取締役個人に対して融資をするために会社が約束手形を振り出す場合ならば、あるいは会社の犠牲において取締役が利益を受ける行為であるかのごとく見えないわけでもない。しかし、およそ手形の振出という行為は、何らの前提もなく突如としてなされるものではないのであつて、右の事例においても、予め、もしくは同時に、信用授受の合意がまず成立し、しかるのち、それによつて確定された債務の履行のために振り出されるのであるから、その場合における手形行為はあくまでひとつの手段たるにとどまり、当該行為によつてはじめて新たな利益の変動を来すというわけのものではないことは明らかである。したがつて、かかる場合においては、原因たる融資契約について、これを取締役会の承認にかからせることをもつて足りるのである。原因関係たる取引について取締役会の承認がないにかかわらず、それに基づいて約束手形が振り出された場合、もし第三者が振出人を害することを知つてこれを取得したときは、会社は所持人に対し悪意の抗弁をもつて対抗し得るのであるから(手形法一七条但書)、会社の利益はこの限度で保護されるのであり、かつ、これをもつて十分とすべきであろう。右の抗弁を主張し得ないような事態であつたとするならば、かかる不当な行為に出るような者を役員としていた会社こそ危険を甘受すべきものなのである。当該取締役に対する追及はともかく、善意の第三者にこれを転嫁しようとするのは、およそ筋違いといわなければなるまい。

三、多数意見は、約束手形の振出により、会社が挙証責任の加重、抗弁の切断、不渡処分の危険等を伴なう厳格な新たな支払義務を負うことになるという点に、適用説をとる最も有力な根拠を求めている。しかし、挙証責任ないし抗弁に関する不利益は、会社が振り出した約束手形の支払義務を訴訟上、原因関係の瑕疵等の理由で否定しようとする場合のいわば病理的な現象というべく、不渡処分にいたつては、小切手についても当然あり得るところであつて(多数意見は小切手についてふれるところがないのである。)、約束手形に特有というわけではない。のみならず、もともと約束は守らなければならないものである以上、一旦支払を約しながらこれを敢えて履行しなかつた場合には、これに伴なうすべての不利益を受忍すべきではないであろうか。ところで多数意見は手形の振出をもつて新たな債務の負担だとしているのであるが、それがもし、実質的には全く新たな利益の変動がない場合を含めての立言であるならば、用語自体適切を欠くと評せざるを得ない。いずれにしても、多数意見のいうところは、約束手形の振出が会社と取締役との間に利害の衝突を生ずる行為であることの根拠としては、到底首肯するに足りないのである。

四、多数意見によれば、原因関係たる取引について取締役会の承認があつた場合でも、それに基づく約束手形の振出について承認を受けることを要するばかりでなく、当初承認を得て振り出した約束手形の書替手形を振り出す場合でも、重ねて承認を要することになると思われる。そうだとすれば、原因関係たる取引あるいは書替前の手形の振出について取締役会で承認を与えておきながら、当該手形の振出について承認の手続が欠けていたという故をもつて、会社は右の手形の取得者である第三者に対し支払を拒むことができるわけであるが、会社をして、自己の機関のした行為の瑕疵を理由に、第三者の犠牲において、本来の契約からの拘束を免れしめるがごときは、果して妥当であろうか、私としては疑問をはさまざるを得ないのである。

五、もつとも多数意見は、第三者保護の見地から、会社が当該約束手形の支払を拒むためには、取締役会の承認の欠けていることにつき第三者が悪意であつたことを主張し、立証することを要するという。第三者の利益保護との調和を図りつつ会社の利益を保護しようとするその基本的態度はもとより正しいとすべきであろうが、しかし、私には、右のような多数意見の解釈にいかなる成法上の根拠があるのか理解し得ないのであり、多分に便宜的な法解釈に陥つているのではないかという危惧を感ずるるのである。このことは、次のような場合にも現われて来る。

すなわち、第三者が悪意の場合に会社の利益が考慮されなければならないとするならば、第三者が取締役会の承認のないことを重大な過失によつて知らなかつた場合も、同様に考慮されてしかるべきではないかと思うのであるが、この点になると、多数意見は黙して語らないのである。

ところで、取締役会の承認があるかないかの点をめぐり、第三取得者としては、従来の経緯からすれば、当然疑問をはさまなければならない関係にありながら、而もこれをただすについては一挙手一投足の労をもつて足りるにかかわらず、敢えてこれをしなかつた場合、或は、むしろ確めることの不利を慮つて、取得に際し真実を知ることをことさらに避けたような場合などのあることはたやすく想定できるのであるが、これを、偶然の事情で知つていた場合と比較したとき、前二者については権利を肯定すべく、後者については悪意の故を以てこれを否定する(これが恐らく多数意見の帰結であろう。)というのは、抵抗なしに受けいれられる理論であろうか。

六、具体的な例を考えてみよう。会社が取締役個人を受取人として振り出した約束手形の券面に、ゴム印等による不動文字をもつて「取締役承認済代表取締役何某」と顕出されてある(これは、世上、まま見受けられる様式である。)にかかわらず、右の名下に捺印を欠いており、しかも実際に取締役会の承認がなかつたとする。さてその手形を右受取人の裏書によつて取得した第三取得者は、これを悪意であるとすべきか、それとも、善意だが重大な過失ありとすべきであるか、背後の事情にもよることであつて、その判別は恐らく容易ではあるまい。およそこの場合、その手形面のあり方は次のことを意味するであろう。すなわち当該手形は券面上、多数意見に従うならば、取締役と会社間の取引にあたること、及び、承認済の不動文字下にはことさらに捺印がなされていないのであるから、当該手形の振出には取締役会の承認がなかつたか、少くともそれがあつたとは主張し得ないこと、以上二つである。そうである以上、その手形を取得した第三者は、振出につき所要の承認を経ていないことを知つていたとみることもできるし、事情いかんによつては迂濶にも知らなかつたものと見るべきかも知れない。後者の場合、もちろん過失がないとはいえず、しかもそれは多分重大な過失というに値するであろう。こうなると悪意と重大な過失との間の差は紙一重ということになるのである。それにもかかわらず、一を肯定し、他を否定することになるとすれば、その間著しく権衡を失し、公平を欠くといわなければならないであろう。

七、しかしながらまた、他面、重大な過失によつて取締役会の承認のなかつたことを知らなかつた第三取得者に対してまでも、会社に物的抗弁を認めるとするならば、本件のような類型の手形金訴訟においては、恐らくは常にこの種の抗弁が濫用され、事端を従らに繁くするに違いないのであつて、受取人が当該会社の取締役である場合、もしくは、そうではないかと推測できる場合における会社振出の約束手形については、その内部事情やその手形の由来をつまびらかにし、しからざることを確認したうえでなければ、意を安んじて受け取ることができない結果となる。これが手形の流通を阻害しひいては取引の安全に悪影響を及ぼすものであることは多言をまたないのである。

仮に抗弁を悪意の場合に限定するとしても(前述のごとくそれに成法上の根拠があるかどうか私には疑問なのであるが)、前記六に掲げた設例のごとき場合を考えれば、不適用説を採るのに比べて、取引の安全への影響は少なからざるものあるを思わしめるのである。

八、なお、さきに引用したところによれば、多数意見も、約束手形の振出が商法二六五条にいう取引にあたらない例外のあることを認めているようである。それがいかなる場合をさすのか明らかでないとしても、手形が振り出されたときの事情によつては、取締役会の承認を要しないことがあるということとなるわけである。事実、従来の判例、学説中にはこの考え方を明示し又は強調するものが少くない。しかし、部外者の容易に窺知し難い、会社内部における振出の経緯ないし背景のいかんによつて、取締役会の承認がない点では全く同様であるにもかかわらず、あるいは無効となり、あるいは有効となるとあつては、第三者の利益を果して害することなしといい得るであろうか。

要するに、手形は、具体的な原因関係から捨象され独立した、一定金額の支払を徴表する有価証券である。而して転々流通し、券面に従い、満期に確実に支払われてこそ、経済社会における手形の役割を果し得るものなのである。そのためには、約束手形の振出に商法二六五条の適用がないと解するのが最も妥当であるというのが私の結論にほからならない。

したがつて、本上告を棄却すべしとする終局的判断には賛成であるが、以上述べたところにより、多数意見の説示する理由には同調できないのである。(石田和外 田中二郎 岩田誠 下村三郎 色川幸太郎 大隅健一郎 松本正雄 村上朝一 関根小郷 藤林益三 岡原昌男 小川信雄 下田武三)(長部謹吾、飯村義美は、退官のため署名押印することができない)

上告代理人の上告理由

第一点 原判決は、株式会社がその取締役に対して約束手形を振り出す行為は商法二六五条にいう取引にあたると正当に解しながら、手形の振出を手形の作成と交付に分断し、手形の権利(義務)は作成によつて発生し、相手方に対する交付は権利の譲渡であるとし、商法二六五条にいう「取引」は交付行為のみをさし、作成行為には適用なしと解し、且つ、交付行為には手形法一六条二項の適用があるとしているが、これは明らかに右各法条の解釈を誤つた違法があり、且つ、判例に違反している。

(一) 第一に原判決は手形の振出行為の意議を誤つている。即ち、振出を手形作成行為と交付行為に公断し、交付行為をすでに手形作成行為で発生している手形上の権利に関する譲渡契約と解しているが、この見解は、あまりにも擬制的な嫌があるのみならず、裏書の場合に、手形への裏書の記載と交付とが合一して裏書であると解することとの間に概念構成上の不統一を示している。

振出は、手形なる法定要件を具備する証券を作成して、これを受取人に交付することによつて成立する手形行為である。即ち、証券の作成と交付行為とが合一して振出行為が完了し、その時に手形上の権利義務が発生すると解すべきこと学界の通説である。従つて商法二六五条の「取引」に振出行為があたると解する以上、証券の作成と交付行為とを合一して同条にいう「取引」にあたると解すべきである。

(二) 第二に商法二六五条違反の手形振出行為は無効である(大判明治四二、一二、二民録一五輯九二六頁、大判大正九、一二、二民録二六輯一八八七頁、大判大正一二、七、一一民集二巻四七七頁、大判大正一三、九、二四民集三巻四三三頁、大判大正一五、一、三〇民集五巻七七頁、大判昭和八、六、一民集一二巻一四〇一頁、最判昭和三八、三、一四民集一七巻三三五頁参照)。

商法二六五条が、いわゆる取締役の自己取引を原則として禁止しているのは、もともと取締役は会社のために忠実にその職務を遂行する義務を法律上負うのであるから(商法二五四条ノ二)、取締役がその地位を利用し、自己又は第三者の利益のために会社の利益を害するおそれのある行為をなすことは、これを慎まねばならないのであるが、会社と利害の対立する関係の生ずる法律関係については、それが自己のためであろうと、第三者のためであろうと、人はすべてできるだけ自己の立場を有利にならしめようとする本能を持つものであるから、かような対立関係に入ることを許すことは、反射的に会社の利益を害することとなり、取締役の忠実義務と相容れない結果を生ずるおそれがあるからである。ただ、例外として取締役会の承認を得た場合に限り、これを許すことにしているのである。取締役会の承認を受けることにより他の取締役の監視を受けることになり、右の弊害が除去されるからである。かような立法精神から同条違反の行為はすべて無効であると解すべきこと判例、学説の多教である。従つて本条の適用ある限り手形法第一六条二項(七七条)の適用もない。尚、手形法一六条二項(七七条)は手形債権がすでに有効に成立していることを前提とするものであるから本件の場合の如く、手形債権が有効に成立していない以上、手形法一六条二項(七七条)の適用は勿論ない。

そもそも手形法一六条二項(七七条)の規定を解釈するにも他の法令、法条との相関関係において解釈されなければならない。同条の解釈に当り、善意の第三者保護に急なる余り、他の法律制度(例えば無能力者保護制度、代理制度、会社の保護制度(法二六五条))の存在自体を無意義にするこうな解釈は厳につつしむべきである。同条の解釈にも限界があるものと解すべきである。本件は正にその限界に当る。

(三) 以上いづれの点よりみても、被上告人には本件(イ)及び(ロ)の各手形に関する債権はなく、この点において原判決は破棄を免れない。

第二点 原判決は手形法第一六条二項(同七七条)の解釈を誤つた違法がある。

(一) 本条は手形債務がすでに有効に成立していることを前提とするものであることすでに述べた如くであるが、本件の如く商法二六五条に違反し取締役会の承認なく振出された手形は無効である。即ち、手形債務が有効に成立していないであるから本来本条の適用あるはずがないにも拘わらず原判決が本条を適用したことは本条の解釈適用を誤つたものである。

(二) 仮りに本件の如き場合にも手形法一六条二項(同七七条)の適用ありと解したとしても、被上告人には本件(イ)及び(ロ)の各手形を取得するに際し、重大な過失があつた。即ち、被上告人が、上告人会社の取締役であり、且つ本件手形の受取人である鈴木英夫から本件手形を取得するに際し、同人が上告会社の取締役であることを知り、且つ本件(イ)及び(ロ)の各手形が上告人会社の振出したものであり、いわゆる会社と取締役の自己取引に該当する行為によつて振出された手形であるということを知りながら、あえて、上告人会社の取締役会の承認の有無をたしかめなかつたものであるから被上告人には本件(イ)及び(ロ)の各手形取得に際し重大な過失があつたと解すべきである。

(三) 結局、本件においては被上告人は本件(イ)及び(ロ)の各手形債権を取得していないのであるから原判決が失当であることは明白である。

第三点 原判決は本件(ロ)の手形については商法二六五条の適用なしと解しているが、これは同条の解釈を誤つたものである。

(一) 本件(ロ)の手形についても、手形面の記載は上告人会社が、取締役鈴木英夫を受取人として振出したことになつているから、右手形を上告人会社が受取人欄を白地にして直接被上告人に交付したとしても、そのことは、本件(ロ)の手形が書替手形である関係上、便宜上そうしたまでのことであり、商法二六五条の適用については、手形上の記載によるべきである。

(二) 仮りに、原判決の如く、本件(ロ)の手形について商法二六五条の適用については、手形上の記載によるべきではなく、現実の交付のなされた当事者について考えるべきであると解したとしても、本件(ロ)の手形も上告人会社が取締役鈴木英夫に金融を得させるために振出された融通手形が書替えられた最後の手形であり、以前の手形は、上告人会社から取締役鈴木英夫に対し振出され、右鈴木から被上告人に裏書されたものである。そして右鈴木に対する書替前の手形の振出については、商法二六五条の適用があり、且つ、同条に違反しているのであるから結局、本件(ロ)の手形についても、本件(イ)の手形と同様の結論となり、上告人には支払義務がない。 以上

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